長谷川 敏 Satoshi HASEGAWAのBlog

声楽テノール。東京藝術大学卒、同大学院修了。ウイーン国立音楽大学卒。 東京芸術大学、お茶の水女子大学、洗足学園音楽大学講師、茨城大学教授を歴任。東京二期会会員。茨城大学名誉教授。LiberoCantoJapan主宰者。 Libero Canto歌唱法、すなわちウイーンのSzamosi教授の自由な息によるクオリテイーの高い歌唱法を長年に渡り、研究し実践してきている。 神奈川県藤沢市在住             

カテゴリ: 自然でより良い歌唱のために

自然でより良い歌唱のために

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良い歌唱の状態とは
1.明るく、軽く、透明な喉頭のメカニズムによって歌われていること。
2.横隔膜の働きによって息が喉頭を通るときに声となり、共鳴腔を通って身体から    放たれる、この一連の動きに渋滞が起きないこと。息が自由に吐かれていること。
3.身体の諸器官に硬直したところがなくリラックスしていること。
 
美しい声は発声メカニズムが正しく機能した結果であって、濁ったりゆがんだりしている声は神経と筋肉の間違った技術の結果であるということを認識することが大切である。
 
○トレーニングの方法について
1. 練習は大声から入らないこと。
     声を作り出す声帯は成人で長さ1.5cmほどの精緻な器官である。息がそこを通るときにショックがあると壊れやすい。ごく軽い歌い方が必要であり、これは弱声(ピアノ)においても強声(フォルテ)においても変わらない。練習は小さい声によって注意深く行われるべきである。
  これに熟達すると軽いままに大きなエネルギーを出せることになる。このことが自由な歌唱への道である。

2.Intonation歌い出し(起声)について
各フレーズの歌い出しは音が爆ぜて出てきたり、鬱積を伴って出てこないようにしたりする。どんなピアノ どんなフォルテであっても常に歌い出しは透明な瞬間をもっていること。
 
3.全声域にわたって明るい、軽いメカニズムを指向すべきこと暗く、重い歌い方をすると声域は広がらず、喉頭への負担が大きく、声の発展は望めない。
 
4.母音のレガートが声の訓練の基本であること。
母音で音を繋げて行くことが基本。顎ほぐしのために子音を時々加えるのは大変有 有効である。
 
5.声は息であり 歌うことは息を出すことである。 息の道を妨げないことが重要。
息の道を妨げやすい箇所が主として次の3つである。
1.上胸部・・・いわゆるプレッシャーがくるところ。 緊張すると息が止まり易い。
   ここの鬱積は概して男性に多くみられる。上胸はいつもやわらかく。
2.下顎部・・・手を当ててみれば分かるがここは自分でも意外なほど近くて遠い、まるで他人のような感じのする、自覚に乏しい場所であり、しかも最も息が止まり易いところである。
3. 舌根 ・・・緊張すると舌は中に入ったり固まったりする。そして息の流れを止めることになりやすい。
 
その他、肩や首あるいは背中など身体のあらゆる部分が息の道を邪魔する原因となりうる。
  Libero Cantoではこれらをほぐして息を通り易くするトレーニングが主体となる。
次ページへつづく
       

2
基本的な考え方
声を出すこと、歌うことというのは、立つこと、歩くこと、腕を上げ下げすること。腰掛けることなどなどと同様に、人間にとってすでに与えられている機能であって、何か人工的なやり方を加えないとそれができないというわけではない。手を上げるとはどういうことか。意思に基づく信号が脳から神経を伝って筋肉を動かすこれらのことが瞬時に意識しないで普通にできてしまう。そうしたことが歌唱の場合でも同様にある。先ず、歌唱については、考えて構えなければそれができないということではなく、人に本来与えられている機能をそのまま実現して行くということが基本になる。
次に声とは一体何かということになると、これは息そのものであり振動する空気である。肺から出る息が喉頭を通る時に声帯の振動によって声に変わる。そして口腔や鼻腔など共鳴する場所を通って身体から出て行くということ。
小学生、大人、老若男女、人種に関係なく健康であれば誰でも本来はよい声が出せるものである。
しかしながら各人はそれぞれの環境によって話し方、歌い方は様々に変わっていく。そして癖を獲得していくようになる。思うように声が出ない、話しにくい、歌いにくいというのは悪い癖がそれを邪魔しているからである。癖を直して正しい方へ向けてやることができれば、声は自由になっていくことができる。
本来持ち声などというものはない。ただ息が喉を通って身体の外に出て行くその過程で千差万別の声がその時その時に起きるということである。
 

自然でより良い歌唱のために
                                                                                                                  長谷川 敏
                                          
       声楽教育について
 教師がなすべきこと。~理想像として~
 
充分な声楽技術をもち、楽曲を理解することができる。範唱が適確にできる。
・    児童・生徒への指導について、児童・生徒の声がうまく出せない時、その部分を指摘で 
きる。
1. なぜ声がうまく出せないか、
2. どうすれば出せるようになるか、
3. 模範唱をして正しい歌い方を実際に児童・生徒へ示すことができる。
4. 児童・生徒がうまくできなかったその部分を直して、声を出させる技術があること。
       
・そして、正しい歌唱技術の上に立った音楽作りができる。 
  一般に声の良し悪しは生まれつきのものであると考える人が多いのだが、それは間違いではなかろうか。世の中には確かに良い声をすぐに出せる人も存在する。しかしそれは、その人の声がそこで機能しやすい状態にあるということではないか。
教師としては、良い声はそのまま伸ばしてやり、逆に上手に声が出ないときには、その発声方 法に欠点がある場合が大部分であると認識して、それらを改良してやるというのが大事な仕事 であろう。
 
実際の授業の現場では「さあ、皆さん大きな声で元気よく歌っていきましょう!」というような感じで子どもたちに歌わせることが多いと思われるが、これでは子どもたちは胸に力を入れてしまって身体を硬直させる。そしてこの張り切った状態で歌うのでは低声域から中声域は何とかなるが、高声域にかかると必ずアンバランスが生まれてうまく歌えないことになる。
楠本教諭がこうした問題の解決のため、身体の束縛のない発声法を求めて努力を重ね、現場に生かす方法を追求しておられるのは、このことを長年研究している筆者にとっても大変心強い。
 

 
横浜国立大学教育人間科学部鎌倉附属小学校
―「教育UPセミナー 2011 潤」資料
                                                 2011.06.25
 
自然でより良い歌唱のために
                                                                                                                  長谷川 敏
                                             (茨城大学名誉教授、Libero Canto 声楽指導者)

 
イメージ 1
自然でより良い歌唱のために
                                                                                                                  長谷川 敏
                                          
       声楽教育について
 教師がなすべきこと。~理想像として~
 
充分な声楽技術をもち、楽曲を理解することができる。範唱が適確にできる。
・    児童・生徒への指導について、児童・生徒の声がうまく出せない時、その部分を指摘で 
きる。
1. なぜ声がうまく出せないか、
2. どうすれば出せるようになるか、
3. 模範唱をして正しい歌い方を実際に児童・生徒へ示すことができる。
4. 児童・生徒がうまくできなかったその部分を直して、声を出させる技術があること。
       
・そして、正しい歌唱技術の上に立った音楽作りができる。 
  一般に声の良し悪しは生まれつきのものであると考える人が多いのだが、それは間違いではなかろうか。世の中には確かに良い声をすぐに出せる人も存在する。しかしそれは、その人の声がそこで機能しやすい状態にあるということではないか。
教師としては、良い声はそのまま伸ばしてやり、逆に上手に声が出ないときには、その発声方 法に欠点がある場合が大部分であると認識して、それらを改良してやるというのが大事な仕事 であろう。
 
実際の授業の現場では「さあ、皆さん大きな声で元気よく歌っていきましょう!」というような感じで子どもたちに歌わせることが多いと思われるが、これでは子どもたちは胸に力を入れてしまって身体を硬直させる。そしてこの張り切った状態で歌うのでは低声域から中声域は何とかなるが、高声域にかかると必ずアンバランスが生まれてうまく歌えないことになる。
楠本教諭がこうした問題の解決のため、身体の束縛のない発声法を求めて努力を重ね、現場に生かす方法を追求しておられるのは、このことを長年研究している筆者にとっても大変心強い。
 
基本的な考え方
声を出すこと、歌うことというのは、立つこと、歩くこと、腕を上げ下げすること。腰掛けることなどなどと同様に、人間にとってすでに与えられている機能であって、何か人工的なやり方を加えないとそれができないというわけではない。手を上げるとはどういうことか。意思に基づく信号が脳から神経を伝って筋肉を動かすこれらのことが瞬時に意識しないで普通にできてしまう。そうしたことが歌唱の場合でも同様にある。先ず、歌唱については、考えて構えなければそれができないということではなく、人に本来与えられている機能をそのまま実現して行くということが基本になる。
次に声とは一体何かということになると、これは息そのものであり振動する空気である。肺から出る息が喉頭を通る時に声帯の振動によって声に変わる。そして口腔や鼻腔など共鳴する場所を通って身体から出て行くということ。
小学生、大人、老若男女、人種に関係なく健康であれば誰でも本来はよい声が出せるものである。
しかしながら各人はそれぞれの環境によって話し方、歌い方は様々に変わっていく。そして癖を獲得していくようになる。思うように声が出ない、話しにくい、歌いにくいというのは悪い癖がそれを邪魔しているからである。癖を直して正しい方へ向けてやることができれば、声は自由になっていくことができる。
本来持ち声などというものはない。ただ息が喉を通って身体の外に出て行くその過程で千差万別の声がその時その時に起きるということである。
 
良い歌唱の状態とは
1.明るく、軽く、透明な喉頭のメカニズムによって歌われていること。
2.横隔膜の働きによって息が喉頭を通るときに声となり、共鳴腔を通って身体から放たれ     る、この一連の動きに渋滞が起きないこと。息が自由に吐かれていること。
3.身体の諸器官に硬直したところがなくリラックスしていること。
 
美しい声は発声メカニズムが正しく機能した結果であって、濁ったりゆがんだりしている声は  神経と筋肉の間違った技術の結果であるということを認識することが大切である。
 
○トレーニングの方法について
1. 練習は大声から入らないこと。
     声を作り出す声帯は成人で長さ1.5cmほどの精緻な器官である。息がそこを通るときにショ   ックがあると壊れやすい。ごく軽い歌い方が必要であり、これは弱声(ピアノ)においても強声(  フォルテ)においても変わらない。練習は小さい声によって注意深く行われるべきである。
  これに熟達すると軽いままに大きなエネルギーを出せることになる。このことが自由な歌唱への 道である。

2.Intonation歌い出し(起声)について
各フレーズの歌い出しは音が爆ぜて出てきたり、鬱積を伴って出てこないようにしたりする。
 どんなピアノ どんなフォルテであっても常に歌い出しは透明な瞬間をもっていること。
 
3.全声域にわたって明るい、軽いメカニズムを指向すべきこと
 暗く、重い歌い方をすると声域は広がらず、喉頭への負担が大きく、声の発展は望めない。
 
4.母音のレガートが声の訓練の基本であること。
母音で音を繋げて行くことが基本。顎ほぐしのために子音を時々加えるのは大変有効であ   る。
 
5.声は息であり 歌うことは息を出すことである。 息の道を妨げないことが重要。
息の道を妨げやすい箇所が主として次の3つである。
1.上胸部・・・いわゆるプレッシャーがくるところ。 緊張すると息が止まり易い。
   ここの鬱積は概して男性に多くみられる。上胸はいつもやわらかく。
2.下顎部・・・手を当ててみれば分かるがここは自分でも意外なほど近くて遠い、まるで他人    のような感じのする、自覚に乏しい場所であり、しかも最も息が止まり易いところである。
3. 舌根 ・・・緊張すると舌は中に入ったり固まったりする。そして息の流れを止めることになり   やすい。
 
その他、肩や首あるいは背中など身体のあらゆる部分が息の道を邪魔する原因となりうる。
  Libero Cantoではこれらをほぐして息を通り易くするトレーニングが主体となる。
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        ●横浜国立大学鎌倉附属小学校 楠本 勝教諭による資料を参照のこと。

 
    指導について
・音楽の授業やレッスンは常に落ち着いた雰囲気の中でやること。
     
    音楽を表現するということは感情的なものがすぐに入って来る。これをそのままにすると前に進めない。選別ができなくなり,よいものだけを育てるということができなくなる。質的向上を図るためには努めて冷静に、落ち着いた雰囲気の中で進められるべきである。                                                                                       

 / ・厳しい練習の雰囲気は児童・生徒の身体を硬くさせてしまって前進することができない。全体伸び伸びと、間  違っても大丈夫といった感じでトレーニングが続けられると良い。                             ・教師は大声で立派に模範唱をしない。
 児童・生徒はその大声だけを真似するものだからである。教師はそこで必要とされることの模範唱を端的に示 すべきである。
 
 ・練習では中声域から高声域へクロマティック(半音づつ)に上げて行く。高声域から中声域低  声域に下げ  てくる。この時上行はどんどん軽く明るく、下降は高声の軽さ明るさをもったまま。上胸部に力みが 入る場合  は先に低声部からやってもよい。
 
団指導と個人指導
集団では各人が多様な声を出すので、その指導の助言が全体に適切かどうか、常に配慮する必要がある。基本的にはいつも個別の指導が軸になるべきことに注意する。望ましいのはマンツーマンで一人一人、一声一声良い悪いを選別しながら行なわれるべきで、良いものだけを覚えていくことが肝要。
                        
○子どもへの指導と大人への指導
健康な器官を持っているならば歌唱の指導には人種、性別、年齢にとりわけ差は無い。しかし変声期にさしかかっている生徒には要注意。主要な発声器官である喉頭部が急激な成長によってアンバランスな状態である。女性の生理時には無理をしない。風邪を引いたときは声帯も風邪を引いていて、充血しているのでできるだけ歌わない。
しかしLibero Cantoでは声帯への負担が少ないので多少の風邪引き状態でも通常どおり歌えることが多い。
 
呼吸と姿勢について
    成人においては4L前後の肺活量があり、そのうち通常は0,5Lを出し入れしている。大きく吸わなくても2L前後は肺の中に入っている。歌唱に必要なのはこの、「rest Atem」 残された息であり、直前に吸い込む生の息ではない。この残された息をトレーニングするのである。吐かれた後に息は自然に入ってくる。従ってイタリアのマエストロたちが述べているように伝統的な発声法には呼吸法なるものはない。楽に少しだけ吸って呼気の方に気持ちを集中する。ただ吸気では音が出ないように注意する。吸気の際に音が出てくるのはどこか不要な部分が触っているせいである。
 姿勢については落ち着けるように、上体に力が入らぬように腰掛けて練習するのが効果的である。立った時は両足で踏ん張らずに片足に重心がかかり、もう片方をそれに添える程度にする程度が良い。また練習では歩きながら歌うのもリラックスできて良い方法である。
 
○音楽の実現
歌う直前の構えと支え、お腹に力を入れることなど作為的なことはすべて自由な歌唱を阻害する。そうするの ではなくて、歌い手が今歌おうとする音楽を頭に描けば、必要な息が自然に用意され、旋律に従って音楽が実 現していくと考える。
 何か殊更に作為をもって音楽を作るということではない。正しい発声で真っ直ぐに旋律を歌って行けば、そのこ とだけで音楽は出てくるものである。
 
 
○喉を開けるということの意味
  身体を硬直させて歌っていくと高音は常に困難に直面する。そして声楽教師たちは喉を開けるように指導する ことになる。口を開け、喉を開けようとすると、かえって息が止まり正しい喉頭の働きから遠ざかってしまうこと  が多い。逆に口を閉じて喉を開けないようにして、顎や舌の力を取り除けばうまく行く場合がある。喉が開いた  感じ、というのは「器官が緩んでリラックスして息が通りやすい状態」というように理解した方は良いと思われる。
 
○発音について
明瞭な発音と大きな口開けが、本当によい発声であるかというと実は正反対になることが多い。
  はっきり発音するとそのことで口と喉に引きつった状態がおきてしまう。発音を強調したり、母音を口の形で変 化させたりすると大切な声のレガートを損なってしまう。発音は流れ出るレガートを邪魔しないで柔らかく行わ  れるべき。口の形は主体的に動くのではなく、第二義的に動くというのが正しい。
それぞれの母音の発音は口形で変えてはならない。かえって同じ口形で母音を変化させていく方が正しい。   また「i」 や「u」の母音が閉まる母音だからといって高音で喉を開かないこと

○本当の自分の歌唱状態を知るには
自分が今出している声というのは、自分には正確に聴こえない。このことは録音した自分の声を聴いてみるとよく分かるはずである。自分の声を聴きながら歌うと、身体の動きが止まり、歌唱全体にブレーキがかかってしまう。これはやってはいけないことである。客観的に自分の声を知るためには性能の良い録音機器や鏡によるチェックが必要になる。
なお。合唱において「他の声部をよく聞いて歌うように」指導しがちであるが、これも自分の歌唱にブレーキをかけることになるので「他の声部を感じて」などと言い換えた方が良いように思われる。
 
○共鳴について
多くの声楽学習者が誤解していることであるが、共鳴する場所を狙って当てるとか、響きを集めるようにする、 とかということはすべて間違い。共鳴するということは、正しく発声した時の結果であり、結果的にそこが響いて いるように聞こえるのである。鼻や眼や額などを狙って歌うとかえって発声が大変いびつなものになってしまい 、決してうまくいかないものである。
正しい発声に必要なものは、横隔膜と声帯のみ。他の筋肉は休んでいるべきである。身体全体で歌うというよ うなことはない。他の筋肉が緩んでいれば身体は筒のようになり、共鳴は拡がるのである
 
○声楽用語について
 声楽用語には頭声、胸声、地声、裏声、表声、ファルセット、ブレイク、デックング、換声点とか様々なものがある。これらの名称と意図などは説明する各人によってバラバラで昔から統一されてなどいない。
 また発声に医学用語を持ち込んだり、声帯や喉頭部の働きに言及したりするところで、その動かし方などはどうにもなるものではない。
20世紀前半まで生きていたイタリアの名マエストロ達は皆解剖学的や音響学的なアプローチは決してしていなかった。
筆者の経験では前述の声楽用語は歌い手のイメージを固定化させる悪影響がある。それよりも、筋肉の緊張を取り除いて軽く明るいメカニズムの訓練によってこそ、自由で正しい歌唱が実現できる。
 
○好きな声、良い声、正しい声
何がよい声か、というと、一般に人は自分の好きな声をよしとしたりすることが多い。だが声楽を研究する者にとっては、各人の好みによって声を峻別したりするのは恣意的に過ぎるし、それは趣味の段階というべきであろう。筆者は声楽関係者が普遍的に良い声を表すのには「正しい声」という言い方が良いのではないかと思う。それはその声が生理的に正しく機能している状態で、聴いていて素直に身体に入ってくる声というのが本当に良い声で、正しい声ではないだろうか。

○歌唱表現について
オペラにおいてはストーリーの配役に従って、その人物の声の役割にそれぞれ違うものが要求されるが、そのオペラや声楽曲の大部分は愛の歌、恋の歌、憧れの歌等など、柔らかく暖かく歌われるべき曲たちである。

愛の二重唱が硬直した身体からふりしぼられる硬い声で歌われては興ざめなばかりか、間違った演奏である。現代のクラシック歌手達は子守歌を優しく歌うことができるだろうか?

20世紀初頭のヨーロッパは声楽の黄金時代と呼ばれ、数多くの名歌手が活躍した時代であった。最近はそうした歌手のCD復刻盤が出版されている。また、有難いことにPCのYouTubeでも簡単に彼らの演奏を聴くことができる。
多少のノイズは全く気にならないほどその演奏は自由で、優しく、暖かく、クオリテイが高い。 我が国の戦前の歌手達も同様である。

ラジオの時代からヴィジュアルの時代に変わって久しく、人々の興味が多方面に分散したり、伝統的な発声法を伝えるマエストロが欠乏したりしたこともあり、声楽の水準が落ちてきている。と欧米でもささやかれてすでに半世紀以上も経っている。

学校における声楽教育のために
全国規模の合唱コンクールの演奏を聴くと、高校生は大人の、中学生は高校生の、小学生は中学校の、というようにそれぞれが徐々に年上のクラスの演奏に似せて、暗く、重く、難しい表現を狙っているように聴こえることがある。
そういう時には、自分たちのいま出来得る声で、明るく生き生きと歌ってくれればもっともっと素晴らしいのにと度々思うのである。明るく、軽く、快活に歌っていくことは知性や教養がないように指導者は思うのだろうか?

反対に、暗い声や重い声の表現が本当に立派なことであろうか? 勿論、詩の内容と音楽に従ってそういう表現をすべきところもあるだろうが、大人の合唱でもソプラノからバスまで明るく、軽い発声でないと倍音は得られず、真のレガートは生まれずに表現の自由が狭められてしまう。
 
おわりに
アメリカのベル・カント声楽指導者C・リード氏は現代の歌手の低水準について、最大の原因はお腹の支えSu pportと高音でのデックングCoveringであると述べている。
お腹や背中で支えて固めたり、高音域を暗くして歌ったりすることは身体の開放にならず、聴き手の共感にはつながらない。
反対に、歌うときに構えないで(準備はするが)、明るく、軽い発声をしていくと 身体が自由になる。そして声は自由になっていくことができる。そうすると歌い手は演奏表現が自在となり、聴く人にはその声と音楽によって感動が呼び起こされるのである。

 以上、声楽に関して、学校教育におけるものから専門的なものにも踏み込んで述べてきたが、これは歌唱というものが子どもと大人の区別なく同じ真理から来ていると信じられるからである。
子どもの時に歌がよく歌えなかったために音楽が嫌いになっていく人が無数にいるのではないか、また音楽的に有能で将来を持った子どもたちが、指導者による誤った指導のためにその道を困難なものにされてしまったことを見聞するにつけ、小学校時から良い歌唱法を身につけることの重要性を、教職にある先生方に是非知って頂きたいと思うものである。

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