オペラ「ファウスト」ウイーン国立オペラ Wiener Staatsoper 5月10日
  本来なら例年のように当地で聴く筈でしたが、今回は叶わず、ライヴ放映を日本時間翌日夕方の5時半から自宅にて聴くことになりました。
   6時までの30分間は歌劇場の紹介や練習風景あるいはライブストリームの抜粋などを流した。
私の期待はもちろんテノール Piotr Beczalaのタイトルロールです。
    1幕の歌い始めの彼の歌唱は声をきれいに出すというよりもラフのように前面で息を回して、殆どバリトンのように歌っているように見えた。仏語のニュアンスはあまり気にしてない様子です。
こんなに重そうな声で始めてしまっては後半大丈夫かなと心配したがAriaは大変端正に歌いきった。一番の高音のCの箇所も難なく素晴らしいフレージングで歌った。通常ここはテノールは高音の意識が出るところだが、本当に何の危うさもなく何の構えもなく、ただそこにファウストがいるだけといった感じ。自信に満ちているが大仰でなく、歌い終えた余韻はとても清々しいものでありました。
   その後の幕でのマルガレーテとの抱擁シーンでは、いわゆる息だけの声で全く鋭い音色を出さずに、sotto voceで説得力を持って彼女への愛を歌い続けました。 
 オペラの休憩時間には彼へのインタビューが行われた。これはもちろん事前の録画ですが。リンツやチューリッヒで長いこと歌って来ているだけあってドイツ語が流暢です。インタビュアーは若手の男性評論家でしたがBeczalaは一つ一つの質問に丁寧に答えた。尊大なところが微塵もない。世界を飛び回って歌い続ける難しさ、コンディションの調整、そのたびに違う指揮者、演出家に付き合う苦労など。オテロやラダメスなどの重い声の役はまだまだ歌わない。2020年頃時期が熟せば、ということだった。  
   改めて思い起こされるのは1966年に36歳の若さで亡くなったドイツの不滅の名テノール、フリッツ・ヴンダーリッヒのことです。タミーノ、ベルモンテなどのドイツ語によるものからイタリアもののアルフレード、アルマヴィーヴァ伯爵などを極上のベルカントで歌い今なお世界中の人々にその歌唱を愛されているのです。ドイツものもイタリアものも歌えるリリックテノールはこの人と、私がウイーンで三年間教えてもらったウイーンの大歌手アントン・デルモータ先生以来の極上テノールの登場です。
    この夜の「ファウスト」に話を戻すと、マルガレーテはネトレプコが降板した代理Sonya Yoncheva。柔らかな声と音楽性で最初は好もしく聴けたが、フレーズの繋ぎ方に難があり、肝心の箇所の声が伸びて来ない。舞台は完全なモノトーンで衣装もただみすぼらしい。演出はわざとらしく、人物配置の仕方も目新しいものがなく、指揮者Bertrand de Billy は手堅い音楽作りだが折角のウイーンフィルでも心を揺さぶるものが出てこない。マルガレーテは後半の愁嘆場で声に破綻が来てしまい、舞台はそういうわけで彼女を救けられなかった。Erwin Schrott メフィストの衣装ヘビメタ風、横刈り上げの頭と襟が極端に立った革ジャンの風体は陳腐そのもの。声はまずまずだが、その通り一遍の表現では舞台を仕切ることはできなかった。ヴァレンタインAdrian Er?d は難しいバリトン役であるが、高音はかなりテノラールな発声、重厚なバリトンも可能でかなりのテクニシャンであることは確かだが演出のせいか、ひ弱い役作りだった。シーベルStephanie Houtzeelの舞台の動きと声はまずまずの存在感だった。
     さてこのオペラの券を1年ほど前から手に入れようとしたが無理であった。ネトレプコが降板することが発表された後でも、プレミア付きでさえもだめだったのだ。ライヴの映像を見ても客層が普段と変わっているとは思えなかったので不思議な思いがしている。
     ともあれ我らのBeczalaさん、私は昨年は「ラ・ボエーム」Rodolfo、一昨年は「ルチア」のEdgardoをウイーンで聴いていますが、今年はライヴ映像をクローズアップでみることができたので、この夜のオペラの他の不出来はともかく大満足でした。日本から出かけても時差があって、折角のオペラが日本での朝の2時から5時という熟睡の時間帯にかかるため旅行疲れもあって私たちにはなかなか集中が難しいのですね。自分の家で日曜日の夕方から始めてもらえるのはライヴとは言い得ないが先ずもって有り難い時代になったものです。
   但し、舞台上のマイクの位置によって音声にばらつきが出るのは仕方がないところ、この劇場に600回以上足を運んだ経験でもって、現場ではどのような声が出ているか想像でカヴァーする部分もあります。
   パヴァロッテイ、ドミンゴ(今やバリトン)たちの後、ヴァルガスが最盛期を少し過ぎているが感があり、リリックテノールの本命はこれからの時代、まだ日本ではそれほど知られていないが、ベチャラさんが君臨し続けることでしょう。音楽性、声、容姿、演技力、確実な様式感。暖かい歌、爆発力も兼ね備えるテノールの理想がここにあります。