長谷川 敏 Satoshi HASEGAWAのBlog

声楽テノール。東京藝術大学卒、同大学院修了。ウイーン国立音楽大学卒。 東京芸術大学、お茶の水女子大学、洗足学園音楽大学講師、茨城大学教授を歴任。東京二期会会員。茨城大学名誉教授。LiberoCantoJapan主宰者。 Libero Canto歌唱法、すなわちウイーンのSzamosi教授の自由な息によるクオリテイーの高い歌唱法を長年に渡り、研究し実践してきている。 神奈川県藤沢市在住             

2013年04月

オペラ「連隊の娘」再上演初日  4月28日 /2013 ウイーン国立オペラ

Guillermo Garcia Calvo | Dirigent 指揮
Laurent Pelly | Regie und Kost&演出、衣装、
Aleksandra Kurzak | Marie, junge Marketenderin
John Tessier | Tonio, junger Bauer
Carlos Alvarez | Sulpice, Sergeant
Kiri Te Kanawa | Duchesse de Crakentorp
Aura Twarowska | Marquise de Berkenfield
Marcus Pelz | Hortensius

坊主頭の若いこの指揮者 については去年の同人の振ったルチアが良くなかったのを思い出して 、折角のウイーン最期のオペラなのにこれは参ったなとネガテイヴに思ったのですが、案に相違してこの日は出だしから好調で頭が動かず、昨年のような大きなフリではなく、コンパクトに清潔に音楽を紡ぎ出したのでびっくりです。よく歌う勉強を積んだようで、曖昧なところはほとんどなく、何より歌の旋律を大事にして、歌手が歌う弱声でも、高い音をないがしろにせず、透明感をもってオーケストラを抑えていたのが印象的でした。
マリーは声の立ち上がりがそれほど良くないタイプですが、その分透明感はあり、ノーブルな音色があります。そうした特質を駆使して歌うのにオーケストラがうまくついていきました。最高音は頑張らずに伸ばし続けていて、それでお客はOKです。動き方が大胆で姿も良くて得をしている。
トニオはカナダ出身、中高音ではどうということない地味なアメリカのテノールのようだったが、高音に移ると突如、明るく素晴らしい音色となった。高音を歌ったアリアの後ではしばらく拍手が長く続いた。
テ・カナワは最盛期を過ぎたソプラノが歌う べき、かつてはカバリエが歌った、いわば顔見せ といった役柄だが、ノーブルで通る声と優美な身のこなしでお客を喜ばせた。
アルバレス のバス役は声も演技もうまくて舞台を締めた。

特に特筆すべきは演出。大勢の兵士を音楽的に動かす。しかもリアリティーの反対側。音楽とピッタリあった人物の動きが相乗効果で奥の深い舞台となった。女中たちの大胆で超緩慢な掃除の場面とか、兵士たちの中に埋まって歌うマリーのうたなどなど。最後におもちゃっぽい戦車を繰り出しても違和感が出ない面白さだった。
全体に音楽はシンプルで透明感に溢れて良かった。何より指揮者が歌手の歌を大事にしていてドニゼッティの音楽をよく描き出し充実した連隊の娘となった。

Firenze 在住の声楽家、わが畏友、高塚昭男さんへ
いつも私の拙いオペラ評を興味を持って読んでくれてありがとう!
ウイーン国立オペラからたった今、ホテルへ戻ったところ。三日前にほぼ同じキャスティングで上演されたもの。忘れないうちに訂正をしておきたいです。

La Bohème      4月26日  2013          ウイーン国立オペラ

Andris Nelsons | Dirigent
Franco Zeffirelli | Regie
Franco Zeffirelli | Bühnenbild
Marcel Escoffier | Kostüme
 
Piotr Beczala | Rodolfo
Kristine Opolais | Mimì
Marco Caria | Marcello
Anita Hartig | Musetta
Eijiro Kai | Schaunard
Janusz Monarcha | Colline
Wolfgang Bankl | Benoit
Wolfgang Bankl | Alcindoro

本日の私の席はGallary halbmitte 1 列目。
前回の評で書きましたが、バリトン系いまいち声が飛んで来なかったことについて。これは完全に座席のせいでした。以前から承知はしていたもののこれほどとは思わなかった。Loge の横を向いたボックスの三列目は、恰も隣室で聴いているような具合になるのです。特に低い声が聴こえにくい。
今日はMarcelloもShonardもしっかり現実感を持って聴こえて来た。ただColline はやはり降ろされて別人のMonarchaに代わっていた。
さてオペラ全体の出来としては主役級がよく歌ってファンを喜ばせていたし、オーケストラや合唱も気合が入っていて、
前にも書いたとおり、何しろ300回以上もこのゼッフィレッリの舞台、演出は秀逸で文句の出る筈もないし、一般評論家はOKであろうが、どっこい歌い手出身のわが身からみるとこの指揮者に不満が満杯である。1.Beczalaの「冷たい手」最初から惜しみない力でフルに歌ってきました。テンションが上がって La speranza です。彼はスリリングでしかも安定してHiCに入りました。ここで指揮者はオーケストラにフル音量でテノールの声をかき消すように命じます。固いオケの音は優美なテノールを圧してしまったのだ。2.同様のことはMimiの最初のアリア後半でまた現れる。よく歌っているソプラノを後から固いオーケストラの音で押し潰しにかかるのだ。まともな声楽家なら「やってらんねえ」です。
3. 二幕は元々大勢の出演者でごった返すわけだがここでもオケの音を見せびらかし過ぎで哀れソリストは怒鳴り合うばかり。
もっと声と歌手を大事にして透明感のある音で溶け合わせて欲しいよ。そして最後にカーテンコールでこの指揮者は棒をわざわざ持って出て来るのだ。「私が指揮しました。」???目立ちたがるのもいい加減にしろ、と言いたい。

--さてわがBeczala君はやはり素晴らしかった。一幕の引っ込み二重唱、O soave fanciulla  部屋の外での二人の高音はとてもこの世のものとも思えないほど典雅、高貴なtimbreと雰囲気だった。オーケストラがピアッシモだからね!   合掌。

  マスネ Werther   4月24日/2013   ウイーン国立オペラ

Bertrand de Billy | Dirigent指揮
Andrei Serban | Regie演出
 
Roberto Alagna | Werther
Tae-Joong Yang | Albert
Elina Garanca | Charlotte
Daniela Fally | Sophie
Andreas Hörl | Le Bailli
Thomas Ebenstein | Schmidt
Hans Peter Kammerer | Johann

ウェルテルでの私の席はBalkon中央の二列目である。このバルコンは普通土地の中流の音楽好きの人達が座る場所である。オペラに馴染んだ人が多いので回りの雰囲気はそれなりにオペラを楽しむ雰囲気で満ちている。

オペラ「ウェルテル」はシャルロットを愛するヴェルテルの苦悩に満ちたストーリーであるが、マスネの音楽は微細なところから強靭なところまでなかなかストーリーに沿ってよく書かれている。しかしイタリアものに比較するとテノールにおいては「オシアンのアリア」、メゾソプラノは「手紙のアリア」以外はなかなか興味と集中が行かないオペラの1つではあった。

ウイーンのオペラのこの舞台と演出は明快で、第一幕から中央に大木を配して、出演者はそれを巡る形で展開する。子供たちの配置やシャルロッテの妹の動きなどしなやかに、効果的であった。ゾフィー役のFallyが演技も歌唱もとてもよく役どころをつかんでいた。
さて、オーケストラは洗練されたフランス音楽を雄弁に物語を紡いでいった。やはり素晴らしい音を出す。指揮者はフランス音楽にかなり精通しているようでこのオペラをとてもよく統率していた。さて肝心のAragnaであった昨日のBeczalaとの違いは、一言で言って野生児っぽくあまり考えずに声を出すタイプ。それはそれなりに明るく、精密さには欠けるもののその分自由さがある。シャルロッテを歌ったGaranciaは長身で品のある姿が良い。声は低声から高声に至るまで万遍なく安定して歌えるし、その演技力、特に身のこなし方がとてもとても巧みである。 Wertherを本当は愛しながら許婚との結婚を選択し,彼を遠ざけた苦悩を後半素晴らしく演じていた。 Aragnaはその自由奔放さが目立ってしまってフレーズの出だしがイージーに出てしまうところである。この不用意さはこれがつもり重ねって落第点にまで集積される。オシアンの歌一「春風よ、なぜ私を目覚めますのか?」のアリアへ入る直前の素晴らしく書かれたレシタチボ をまるで集中力を欠いた上がり切らない声の羅列で歌ってしまった。それでもアリアに入って、オーケストラが入魂の演奏を始めるとさすがに気がしまって流麗な歌唱となって行く。一節の終わりのところでは、オーケストラにやや被ってしまったが良いピアニッシモで場内を魅了した。第二節では気持ちも昂ぶり、ドラマチックに持っていったのだが終章はフォルテで終わったのだがそれでもこの曲については最後まで繊細さを持ち続けてもらいたかった。中央に立って紙片を持ちながらこのアリアを最後まで歌ったのだが、この曲は寄り掛かるなり、スキーパやかつての名テノールがそうしたようにやってように身体を横にして歌った方が効果的な雰囲気なるのではないかと思った。
手紙のアリアでシャルロッテGaranciaは彼とは対照的に,
全て計算された自然な演技の中で生き生きと演唱していった。 ウェルテルの愛を拒否してきた葛藤と最後に真の愛を吐露するところは自分の心を抑えられなくなる場面も説得力をもって歌った。


Don Carlos    4月21日/2013  ウイーン国立オペラ
 指揮 Bertrand de Billy.   演出 Peter Konwitschny

Philippe 2.   Kwangchui Youn
Don Carlos.  Jean-Pierre Furlan. stat Yonghoo Lee
Rodrigue.    George Petean
Grand Inquisteur
Mönch
Elisabeth de Valois
Eboli

タイトルロールのLeeが病気のためにジャン-ピエール-フルランが代役出演。本来ならば韓国の歌手2人が主役で登場だった。この代役のテノールは細い発声で声に精彩がなく、Fを皆押してしまって音楽づくりも低空に留まった。ロドリーゴ役は無難であったが聞きどころの二重唱はテノールが良くないので酷い出来だった。
Filippoは終盤のアリアなど要所に弱声を交えながら淡々とした表情の中にも良い声を聴かせて存在感を出した。また二人の主役級女性はいずれも声が硬くて、広がりを欠いた。
昨年の同じ舞台のイタリア語版では、指揮と歌手の上質な音楽によってあまり目立たなかったのだが、当世風の服装、無機質な舞台が音楽と全く噛み合わず、5:30から10:30までの上演がひどく長く感じられた。指揮はこの曲に思い入れがあるかのように意図的なものだった。だが肝心のヴェルデイの音楽スタイルが感じられずまるで別時限の音楽のようだった。昨年五月にここで聴いたDon Carlos イタリア語版の上演とは大違いで残念だった。

La Bohème     4月23日/2013  ウイーン国立オペラ
指揮:Andris Nelsons      演出,舞台:Franco Zeffirelli

Rodolfo      Pietr Beczala
Mimi           Kristine Opolais
Marcello     Marco Caria
Schonard   Adam Plachetka
Colline        Dan Paul Dumitrescu
Musetta      Anita Hartig

昨年の5月にここでベチャラの素晴らしい「ルチア」のエドガルドを聴いた。私の今回のウイーンへの旅の目的はやはり彼のオペラを聴くことであった。26日にも同じ演目があって、そのチケットは日本で確保出来ていたのだが、この日のものは日本で買えず、ウイーンに入って探し回ってもSold Out と言われるばかり。この日の午前中オペラの前を通りかかった時、ダフ屋に偶然声を掛けられた。背に腹は変えられず殆ど三倍の言い値でロージェ三列目を買った。私の年ではやはり立ち見席にするにはきつい。入るまでにまた並ばねばならないから。でもこれが結果的に大正解だった。六人入るボックス席で二列目の一人が欠席。三列目には留まったがダフ屋の言うとおり、オーケストラ席の真上で舞台も良く見渡せた。主役級の歌唱をじっくり真近くで観察出来たのだ。
アウフタクトの動機による音楽でいよいよ開幕である。
舞台は見慣れたゼッフィレッリ、この日で340回目の上演。この回数は凄い!。Rodolfoはいきなりフルテンションの歌唱である。
Marcelloも気合が入りオーケストラも負けじと立ち上がりの良い音響。舞台は汚い屋根裏部屋だが豊饒なプッチーニの音楽が溢れ出した。
ベチャラの歌は端正である。音色は暖かく、伸縮性があって美しい。高い声は細めではあるが充分であり全体の表情はとても明るい。中声部でのリラックスした歌い回しは例えようもなく美しく、正しい道を歩む人のそれがあって説得力を持っているのだ。
Vargas のRodolfoもやはりそうであったことを思い出す。7,8年ほど前だったろうか、Domingoが指揮をした公演であった。Marcello、悪くはないがも一つ声に強さが欲しいところ。ショナールは体格の良い新人だが声は身体に比例しない。甲斐氏がこの役をここで歌っていたがもう卒業かな。Colline,kこの人はいつも喉に突っかかりがある。もっと朗々と歌い回して欲しい。さて体格の良いMimiである。かなり強い女としての役作りをしているように見受けられた。立ち居振る舞いがあまり優しくないのだ。が、徐々に調子を上げてきて三幕の雪の場面の告別はよく歌った。小さく歌ってもメカがきちんとしていれば思いは伝わるのだ。Musettaおキャン役ながら重要な役どころ。丁寧にさして華美には持って行かずよく歌っていた。
さて指揮者であるが、身振りが大きすぎて、大げさな表現になることが多い。イタリアものをウイーンフィルが演奏する時に時々変なフレージングが出ることがあるがそれを防ぐに丁寧なアクションが必要なこともあろう。私が一番感心したのは4幕のRodolfoとMimiが二人きりになる場面'Sono andati?'以降のテンポについてである。ここを落ち着いてゆったりとした回想場面にもって行けるとオペラ全体が素晴らしい説得力を持つのだということを教えてもらった。

藤沢オペラコンクール(第九回)を聴いて           


ここの記事は一定期間が経過しましたので削除しました。

若く有能な声楽家の皆さんの、なお一層のご精進と今後のご幸運をを祈念しております。

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